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がんばれスイマー奮闘日誌!!

幼児・小学生コースのコーチ陣によるしゃべり場ブログ。プールでの出来事からプライベートまで日々の気づきを、本音でトーク!!


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映画っていいですよね

先日、映画を観に行きました。三谷幸喜監督の「ステキな金縛り」です。
「金縛りがステキなわけあるかい!」と、ある意味、嫌味な気持ちで観に行ったのが運のツキ・・・・爆笑です。
豪華な出演陣は勿論、絶妙なカメラ捌きと、それに負けじと素晴らしい演技を見せる俳優・女優・・・・・特に西田敏行の間は秀逸でした。
映画は題名だけで決めてはいけないですね。
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2011/11/09 21:17|縄田TB:0CM:0

僕が子どもの頃・・・

老若男女問わず、必ずその人にあったヒーローという存在すると思います。
そして、僕が子どもの頃に憧れたのは、関雲長という人物です。
この人物は三国志に登場する英雄ですが、きっと僕は、彼の不器用なほどの清廉さと実直さが好きだったのだと思います。
しかし、時の流れは残酷なもので、今は関雲長よりも曹孟徳の方が好きだったりして・・・・(笑)
2011/09/16 13:55|縄田TB:0CM:0

縄田の豆知識

屍に鞭打つ:亡くなった人を悪くいうこと。
この言葉は、ある意味、非常に恐ろしい言葉です。何せ、亡くなった人の体に鞭を打つわけですから・・・。
では、この言葉は一体どこから生まれたのか・・・まさか本当に屍に鞭を打ったわけでもあるまいに・・・。
ところは現実は小説よりも奇なり。この言葉は本当に屍に鞭を打ったことから生まれたものなのです。

時は遡ること2400年以上も前、始皇帝による中国統一がされてもいない時に事件が起きました。
楚の王は、太子のために秦から公女を招きました。つまり、太子のお嫁さんを連れてきたということです。
しかし、公女の美しさに心を奪われた王は、何と自分の息子の嫁になる公女を自身の側室にしたのです。
これを倫理に欠けるとして諫めたのが、伍ショという人物でした。
しかし、この忠言も王の怒りを沸騰させるだけで、結局、伍ショとその嫡男は処刑されてしまいました。
唯一、生き残ったのは次男であった伍子ショでした。彼は血の気が多く、それゆえに彼の心は復讐という激しい炎で包まれることになります。
楚を去った彼は、呉という国に仕え、その国の王の信頼を得て、楚の国を攻めます。しかし、その時には既に自分の父と兄を殺した王は亡く、怒りの収まらない彼は、王の墓をあばき、屍に鞭打ったのです。
この時の彼は鬼気迫るものがあり、骨が粉々になっても打ちすえる鞭をじっと見つめていたそうです。

ちなみに、彼はその後、呉の王を継いだ王子によって自害させられました。しかし、その彼が最期に言った言葉は「わしが墓に木を植えよ。これで棺桶(呉の王の)が作れるように。そして自分の目をくり抜き、東南の城門に掲げよ。越が呉を滅ぼすのを見てやる。」
激情家の彼に相応しい最期の言葉です。事実、その後、彼の仕えた呉は越に滅ぼされ、呉の王である王子は恥ずかしさのあまりか、自分の顔を布でくるんで死んだそうです。


2011/08/07 14:42|縄田TB:0CM:0

縄田の豆知識

馬鹿という言葉があります。ジョークや日常生活でも多用されるこの言葉は、いかにして生まれたのでしょうか。
そして、何故「馬」と「鹿」なのでしょうか。「犬」や「狼」「鳥」でもいいような気がします。
ですが、これにはしっかりとした理由があるのです。
時を遡ること、秦の始皇帝の時代・・・彼の死後、大国秦には2人の強大な権力者がいました。
1人は国政を司る李斯、もう1人は皇帝の側近であり、宦官である趙高です。
当初は協力しあっていた2人ですが、そのうち、趙高が李斯を排除し、自分1人が権力を握ろうと考えました。
皇帝の世話役である趙高は、言葉巧みに李斯を騙し、皇帝の信用を失墜させました。
そして、李斯は趙高の讒言により、粛清されたのです。
皇帝を傀儡にし、実質秦の最高権力者となった趙高は、自分の権力を確かめるために「あること」をしました。
何と、趙高は皇帝に「鹿」を前に、「馬を献上します。」と言ったのです。
すると、たちまち「鹿」を「鹿」と呼ぶものと「馬」と呼ぶものと2つに分かれたのです。
この意図は、自分の言っていることに忠実に従う人物。例え「白」だろうと「黒」だと言える人物。
それを見極めるためのものでした。
それゆえに、「鹿」を正直に「鹿」と答えたものは、趙高の手にかかり、命を絶たれることになったのです。
こうした故事から、馬鹿という言葉が生まれたのです。

しかし、驕れるものも久しからず・・・その趙高も自分が傀儡にしたてようとした秦の三代目の王によって殺されたのです。彼の体は死後にも切りつけられたそうです。
人々の彼に対する恨みは、それこそ骨の髄までだったのではないでしょうか・・・。


2011/07/17 13:49|縄田TB:0CM:0

縄田の豆知識

完璧という言葉は、日常生活でもスポーツの世界でもよく使われます。
しかし、その言葉は中国のある故事から生まれたことをご存知でしょうか?
当時、中国では様々な国が乱立し、互いに争っていました。
そして、そのなかで秦という国の王が、国力を背景に、趙という国にある物を要求しました。
それは「和氏の璧」という逸品で、趙の国が誇る宝でした。
秦王はその天下の逸品と秦の15城を交換しようと持ちかけたのです。
国力に劣る趙はそれを呑むことにしましたが、問題は、秦が本当に約束を守るかどうかにありました。
そこで趙はある食客を派遣しました。
その食客は秦王の態度と対応から城を渡すつもりがないと分かり、奪われそうになった壁を見事な話術と機転で守りきることに成功したのです。
そして、「璧を守る役目をまっとうする」ということから、完璧という言葉が生まれたのです。
2011/06/13 13:08|縄田TB:0CM:0

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